近代哲学の祖とも呼ばれるイマヌエル・カント。
カントの純粋理性批判を理解したいものの、いまいちよく分からないという方は少なくありません。
カントは純粋理性批判で何を主張したかったのでしょうか?
純粋理性批判を理解するためには、どのような概念を知っておく必要があるのでしょうか?
今回の記事では、カントについて、カントの思想、大陸合理論とイギリス合理論に対する批判、純粋理性批判の基礎概要、純粋理性批判を理解する上で重要な概念について紹介します。
カントが唱えた純粋理性批判とは
『純粋理性批判』とは、1781年に刊行されたカントによる著書です。
人間の認識能力には限界があると主張し、理論理性を批判しました。
ここでは、カントがどういった人物か、カントが唱えた純粋理性批判はどのような概念かについて確認していきましょう。
カントとは誰のこと?
引用:いらすとや
イマヌエル・カント(Immanuel Kant)とは、プロイセン王国・ケーニヒスベルク出身の哲学者です。
馬具職人の家に生まれ、母親の敬虔主義的心情に影響を受けたと言われています。
1740年、ケーニヒスベルク大学に入学し、神学をはじめ、哲学や数学、物理学などの分野に興味を寄せるものの、次第に自然学に興味を持つようになり、ライプニッツやニュートンの自然学の研究に励むようになりました。
1746年にカントの父親が死去したことをきっかけに大学を去り、卒業後は家庭教師をして生計を立てていたそうです。
その後も著作活動を続け、1766年にケーニヒスベルク王立図書館副司書官、1770年にケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学正教授となります。
カントの主著には、『純粋理性批判(1781年)』、『実践理性批判(1788年)』、『判断力批判(1790年)』などがあります。
カントの哲学や思想については、以下の記事でまとめていますので、チェックしてみてください。
カントの思想
カントが活躍した18世紀後期は、「大陸合理論」と「イギリス合理論」と呼ばれる思想が対立していました。
岡本裕一朗著『教養として学んでおきたい哲学』によると、「大陸合理論」と「イギリス合理論」の流れはプラトンやアリストテレスの時代から存在していましたが、両者の対立は16世紀頃から続いているといいます。
大陸合理論はプラトンが提唱したイデアのように、人間は経験では得られない生得観念を持っているという考え方です。
一方、イギリス合理論は人間は生得観念を持っておらず、経験を通して観念を身につけると考えています。
カントはこの2つの思想に対して批判的な態度を示しました。
カントは知識は「経験から始まるが、経験だけでは全てを認識することはできない」と考えたのです。
こういったカントの考え方は、20世紀の哲学者によって「構成主義」や「構築主義」などと呼ばれます。
参考:岡本裕一朗.教養として学んでおきたい哲学. マイナビ出版. 2019.
「大陸合理論」と「イギリス合理論」に対する批判
カントは「大陸合理論」を独断論、「イギリス合理論」を懐疑論として批判しました。
大陸合理論に関しては、認識の可能性や本質についての考察が不十分であると考え、イギリス合理論については普遍的な理論に対して否定的であると主張したのです。
これらの批判から「大陸合理論」と「イギリス合理論」を統合し、カントは新たな理論を生み出しました。
この理論のことを「純粋理性批判」と言います。
ちなみに、これまでは「大陸合理論」と「イギリス合理論」を統合したのはカントであり、それがドイツ哲学であると思われてきましたが、その考え方はあまりにカントに偏っているとして批判の声も上げられています。
カント著『純粋理性批判』とは
『純粋理性批判(第一批判)』とは、1781年に刊行された、カントによる著書です。
同著書は、1788年の『実践理性批判(第二批判)』と1790年の『判断力批判(第三批判)』とあわせて、「三批判書」と呼ばれています。
カントはそれぞれの著書において、認識論、倫理、自然学に対する批判を展開します。
先ほど紹介した「大陸合理論」と「イギリス合理論」に関して、カントは「大陸合理論は感性に偏っており、イギリス経験論は理性に偏っている」と『純粋理性批判』で主張しました。
『純粋理性批判』は、この批判をベースにして、人間理性が有効な範囲を明らかにするために執筆されたのです。
純粋理性批判を理解する上で重要な概念
ここまで『純粋理性批判』の基礎知識や目的、批判の内容について簡単に説明してきました。
ここからはより理解を深めるために、純粋理性批判を理解する上で重要な概念を確認していきましょう。
叡智界と現象界
叡智界(えいちかい)と現象界(げんしょうかい)は、人間がどのように物事を見ているかを認識する上で大切な概念です。
叡智界とは、簡単に説明すると「物自体が存在する世界」のことです。
ここでいう物自体とは人間の認識を介さずに存在している世界そのものを意味します。
一方、現象界を一言で表すと「人間が見ている世界」となります。
つまり、私たちは叡智界に存在する物自体を認識しているのではなく、人間というフィルターを通した現象界を理解しているということです。
このようにカントは、叡智界と現象界を別の世界として捉えました。
感性・悟性・理性
ここで、「人間は叡智界にある物自体をどのように変換して理解しているのか」という疑問が生じます。
結論から述べると、私たちは「感性(感じる力)」、「悟性(考える力)」、「理性(まとめる力)」によって物事を認識しています。
感性(かんせい)
感性(かんせい)とは、空間と時間という枠組み、いわばア・プリオリな直観形式に基づいて対象を捉えることです。
ア・プリオリとは「先験的な形式」を意味します。
つまり、あらゆる経験の前に予め備わっている「空間」と「時間」という枠組みに基づいた直観によって、私たちは現象を捉えているということです。
例えば、私たちはどの空間に存在せず、どの時間にも存在しないモノを見ることはできません。
そのため、私たちは空間と時間の枠組みを元から有しているのです。
悟性(ごせい)
悟性(ごせい)とは、感性によって読み取った対象に意味を与える力のことです。
悟性があることで、私たちは対象に対して「純粋概念(カテゴリー)」を付与するようになります。
例えば、「床に落ちているハンカチ」に対して、私たちは「窓が空いていて風で飛ばされた」など、その原因を考えます。
原因がないと「床に落ちているハンカチ」を理解しきれないためです。
「純粋概念(カテゴリー)」には、具体例で紹介した原因と結果の他に、実体と属性、実体に属する性質などがあります。
理性(りせい)
理性(りせい)とは、悟性によって得た情報をまとめる力のことです。
例えば、私たちは感性や悟性を使って「バナナ」を認識したとします。
同じように「りんご」や「ぶどう」などを認識した後で、私たちはこれらが似た性質をもつ「フルーツ」であることに気付きます。
コペルニクス的転回
コペルニクス的転回とは、これまでの認識に対する捉え方が180度変わったことを意味します。
従来は「認識が対象に従う」、つまり対象ありきの認識でしたが、カントは「対象が認識に従う」と捉えたのです。
このようにカントは人間の認識の仕方を考察することで、科学的思考を基礎づけました。
まとめ
今回の記事では、カントについて、カントの思想、大陸合理論とイギリス合理論に対する批判、純粋理性批判の基礎概要、純粋理性批判を理解する上で重要な概念について紹介しました。
カントは、当時対立していた概念である「大陸合理論」と「イギリス合理論」を批判し、新たな考えを打ち出した人物です。
純粋理性批判においては、両者の批判を通して人間がどのように対象を認識しているのかについて論じました。
今回は、叡智界と現象界、感性・悟性・理性、コペルニクス的転回などの概念について簡単に説明しましたが、より純粋理性批判について理解を深めたいという方は、入門書や論文などに目を通してみてください。
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