スピノザの『エチカ』をわかりやすく解説! 汎神論やコナトゥスとは

汎神論を唱えたことで有名なオランダの哲学者であるスピノザ。

スピノザが著した『エチカ』に興味がある人もいるのではないでしょうか?

『エチカ』とは、1677年に刊行された書物で、人間の幸福や本質について論じられています。

しかし、内容が複雑であり、『エチカ』を解読するのを躊躇っている人は少なくありません。

今回の記事では、スピノザの生涯や時代背景、『神学政治論』が匿名で刊行された理由、スピノザが著した『エチカ』の概要、『エチカ』の内容などについて紹介します。

『エチカ』に興味がある人が知っておくべき概念を一部抜粋して解説していますので、ぜひ参考にしてください。
 

スピノザの『エチカ』とは

17世紀のオランダで活躍した哲学者のバールーフ・デ・スピノザ。

『エチカ(1677年)』はスピノザによる著書です。

『エチカ』では、主に哲学について幾何学的に解説されています。

そのため、公理や定理なども使用されており、理解するのが難しいと感じる人は少なくありません。

そんな『エチカ』について少しでも理解を深めるために、まずはスピノザの生涯や時代背景を確認しておきましょう。

スピノザとはどのような人物?

引用:いらすとや

バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza)とは、17世紀の近世合理主義哲学者として有名なオランダの哲学者です。

近世合理主義とは「合理性を重視する考え方」を意味し、スピノザの他にデカルトやライプニッツなども近世合理主義哲学者として知られています。

デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」で有名な『方法序説(1637年)』については、以下の記事で紹介しています。

関連記事:デカルトの『方法序説』をわかりやすく解説!ニーチェによる批判とは

スピノザの生涯

1632年、スピノザはオランダ・アムステルダムの富裕なユダヤ人の家庭に生まれました。

当時、スピノザの両親はポルトガルに定住したユダヤ人(セファルディム)でしたが、ユダヤ人迫害から逃れるためにオランダへ移住しました。

スピノザは幼少期から学問の才能を垣間見せており、ユダヤ教の聖職者であるラビになるための教育を受けたと言われています。

しかし、家業を手伝うために進学はしませんでしたが、商人として利益を上げることよりも、人生の目的を思案したいと考えるようになりました。

スピノザはユダヤ教のあり方に批判的であったため、ユダヤ人共同体からの追放を意味する「ヘーレム」されるだけでなく、一部の信者によって暗殺されそうになったと言われています。

スピノザは1661年にレインスブルフ、1663年にはフォールブルフに移住しています。

そこで幾何学的形式にデカルトの哲学原理を解説した『デカルトの哲学原理(1663年)』を公表しました。

その後も執筆活動を続けるも、1670年に匿名で出版した『神学政治論(1670年)』が1674年に禁書に指定されます。

1677年、スヘーフェリンヘンにて肺の病気により生涯を終えます。

スピノザの主著には『エチカ(1677年)』『神学政治論(1670年)』『知性改善論(1662年)』『国家論(1675〜1676年)』などが挙げられます。

スピノザはレンズ磨きをしていた?

現在は哲学者として知られているスピノザですが、実はスピノザはレンズ磨きの職人でした。

哲学者として食べていくのは難しく、清貧の生活を送ったと言われています。

レンズ磨きでは、科学者が実験で使うようなレンズを磨いて収入を得ていたそうです。

他にも、釣りが好きだったり、絵を描くのが得意だったりなど、スピノザにはさまざまな一面があったと考えられます。

『神学政治論』が匿名で刊行されたのはどうして?

先述した通り、スピノザは1670年に『神学政治論』を匿名で出版します。

しかし、なぜスピノザは名前を公表せず、匿名で出版することを選んだのでしょうか?

その理由には、当時の社会的背景が大きく関係しています。

共和派の指導者ヤン・デ・ウィットは、当時ネーデルラント連邦共和国の総督だったウィリアム3世と政治的に激しく対立しました。

1672年、ウィットは暴徒化した民衆に虐殺されてしまいます(ウィットと交流のあったスピノザは彼の死をひどく悲しんだと言われています)。

このような政治闘争が激しい時代において、政治的権力と宗教的権威を切り離すべきと訴える『神学政治論』は、非難を浴びる可能性があるとしてスピノザは匿名を希望しました。

実際に涜神の書であるとして、神学者から批判されています。

これが『エチカ』が生前に公表されなかった理由でもあるのです。

スピノザが著した『エチカ』

『エチカ』とは、1677年に刊行されたスピノザの著書です。

ちなみに「エチカ」という言葉は「倫理学」を意味します。

副題を含めた正式名称『エチカ – 幾何学的秩序に従って論証された』からもわかるように、本書では人間の幸福や本質についての考察が幾何学的な視点から展開されています。

『エチカ』の構成は以下の通りです。

  1. 神について
  2. 精神の本性と起源について
  3. 感情の起源と本性について
  4. 人間の屈従あるいは感情の力について
  5. 知性の力あるいは人間の自由について

本書は1675年に執筆が完了していたものの、スピノザの没年である1677年まで出版されることはありませんでした。

しかし、友人たちの力により1677年に出版された遺稿集におさめられたのです。

以下で、『エチカ』にはどのようなことが書かれているかをわかりやすく解説します。
 

スピノザが著した『エチカ』の内容

それでは、『エチカ』ではどのような思想が主張されているのでしょうか?

汎神論(はんしんろん)

デジタル大辞泉(2023年11月15日閲覧)によると、汎神論(はんしんろん)は、以下のような意味を持ちます。

万物は神の現れであり、万物に神が宿っており、一切が神そのものであるとする宗教・哲学観。
古くはウパニシャッドの思想、ストア学派の哲学、近代ではスピノザの哲学など。万有神論。

つまり、全てのものは神なしでは存在し得ない、いわば同一的なものであり、それが実体化されているのが自然であるという考え方です。

このように神と自然を同一視する考え方を「神即自然(しんそくしぜん)」と言います。

わかりやすく言い換えると、「神様=万物」ということです。

このような神の実体を否定した無神論的な考え方は、当時多くの批判の声を浴びたと言われています。

コナトゥス

スピノザは『エチカ』で感情についても論じています。

ここで重要となるキーワードが「コナトゥス」です。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(2023年11月15日閲覧)では、コナトゥスに関して以下のように説明されています。

存在者に内在してそのものを動かす原動力、傾向。
ストア派を中心とする古代の概念だが近世に復活。

スピノザでは、意志や衝動など、存在を保とうとする努力をいい、ホッブズでは中世の推力の概念を受けた物理学的意味で用いられる。

ライプニッツはホッブズよりこの概念を取入れて、一時期その力動的な実体概念の活動原理をさそうとした。

つまり、コナトゥスとは自己保存の努力、いわば自己の存在を維持しようとする活動力のことです。

スピノザは、このコナトゥスが精神と身体に関わることで「衝動」が生じ、この衝動によってもたらされる欲望に従うことが善となると主張しました。
 

まとめ

今回の記事では、スピノザの生涯や時代背景、『神学政治論』が匿名で刊行された理由、スピノザが著した『エチカ』の概要、『エチカ』の内容などについて紹介しました。

オランダで生まれたスピノザは、当時の社会において先進的な考えを持っていたため、批判されることも多かった哲学者です。

哲学の思案以外にもレンズ磨きの職人として働くなど、あらゆる顔をもつスピノザですが、スピノザが唱えた汎神論などは後世にも大きな影響を与えています。

今回紹介したのは『エチカ』におけるほんの一部なので、興味がある人はぜひ入門書などを読んで詳しく調べてみましょう。


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