ユングとフロイトとは?それぞれの生涯や功績、関係性を解説!

「ユングとフロイトは何をした人?」

「ユングとフロイトの関係性は?」

と疑問をお持ちの方がいるかもしれません。

ユングとフロイトは、それぞれ精神分析学において重要な人物として知られています。

ユングとフロイトが提唱した重要な概念を理解することで、精神分析について理解を深められます。

今回の記事では、ユングとフロイトそれぞれの生涯と功績、そしてユングとフロイトの関係性について紹介します。

ユングとフロイトについてあまり知らないという方に向けた簡単な内容になっているので、ぜひ参考にしてみてください。
 

ユングとフロイトとは?

ユングとフロイトは、両者とも心理学界において三大巨匠に数えられるうちの2人です(ちなみに、もう一人はアドラーです)。

ユングとフロイトの名前を聞いたことはあるものの、具体的に何をした人なのかわからないという人は少なくありません。

まずはユングとフロイトの生涯や功績などの基本情報について確認していきましょう。
 

カール・グスタフ・ユングについて

引用:いらすとや

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)とは、スイスの精神科医、および心理学者です。

分析心理学を創設したことでも知られており、現在に至るまで心理学において大きな影響を与えています。

以下で、ユングの生涯や功績について簡単にまとめました。

ユングの生涯

1875年、ユングはスイス・トゥールガウ州ケスヴィルにおけるプロテスタント教会の牧師の家に生まれました。

1886年、当時ユングが11歳のときにバーゼルにある上級ギナジウムへ通い始めます。

貧乏な牧師の家庭に生まれたこともあり、クラスメイトと比較して自身の内面について思考することが多かったそうです。

この頃からユングは自分の中に、「冴えない自分」「威厳のある自分」がいることに気づき、2つの人格の間で葛藤していたと言われています。

そんなユングは、1895年にバーゼル大学医学部に進学します(ちなみに牧師であったユングの父親は、バーゼル大学医学部の教授でした)。

ゲーテ、カントやニーチェなどの哲学者にインスパイアを受け、後に出版する著書においても、これらの哲学者について言及しています。

ドイツ・オーストリアの精神科医であるクラフト=エビングに影響を受けたことで、「精神医学」に興味を持つようになり、この先も精神病研究へ傾倒していくことになります。

同大学を卒業した後は、チューリッヒ大学精神科クリニックに勤め、精神障害の治療に従事しました。

主著には『変容の象徴(1912年)』や『タイプ論(1921年)』、『心理学と錬金術(1944年)』、『結合の神秘(1956年)』などが挙げられます。

ユングの功績

それでは、ユングはどのような功績を残しているのでしょうか?以下で主な功績を紹介します。

分析心理学を確立

ユングは、臨床心理学の3大理論として数えられる分析心理学を確立しました。

カウンセラーWEB(2023年11月15日閲覧)では、分析心理学について以下のように説明されています。

分析心理学は、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングの提唱した理論。
ユングが創始したことからユング理論とも呼ばれ、「集合的無意識」や「類型論」の概念が広く知られている。

集合的無意識とは、神話などで用いられる、共通するイメージがあることから、普遍的無意識とも呼ばれます。

ユングの唱えた集合的無意識を理解する上で重要なキーワードに「元型(アーキタイプ)」が挙げられるでしょう。

デジタル大辞泉(2023年11月15日閲覧)によると、元型とは以下の意味をもつ用語です。

ユングの用語。
集合的無意識の領域にあって、神話・伝説・夢などに、時代や地域を超えて繰り返し類似する像・象徴などを表出する心的構造。祖型。

類型論を提唱

類型論とは、2つの心的エネルギーと4つの心の機能によって、人間の性格をカテゴライズした理論のことです。

以下で、それぞれの詳細を説明します。

【 2つの心的エネルギー 】
  • 内向性:心的エネルギーが内側に向く性質
  • 外向性:心的エネルギーが外側に向く性質
【 4つの心の機能 】
  • 思考
  • 感情
  • 感覚
  • 直観

これらの類型論を元にして、ブリックスとマイヤーズが開発したMBTIテストは、現在多方面で注目されています。
 

ジークムント・フロイトについて

引用:いらすとや

ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)とは、オーストリアの心理学者、および精神科医です。

精神分析学の創始者として知られており、ユングと同様精神医学を語る上で欠かせない重要人物となっています。

以下で、フロイトの生涯や功績について確認していきましょう。

フロイトの生涯

1856年、フロイトはオーストリア帝国のフライベルク(現在のチェコ)で、毛織物商人の家庭に生まれました。

両親ともにヨーロッパに定住するユダヤ人を意味するアシュケナジーであり、生まれた時はユダヤ系の名前であるジギスムント・シュローモ・フロイトと名付けられたそうです。

1859年、フロイト一家はウィーンへ転居し、1873年にウィーン大学に入学しました。

物理などを学んだ後、脊髄神経細胞、脳性麻痺や失語症などの研究に励みます。

1881年にウィーン大学を卒業、1884年からはコカイン研究に没頭します。

コカイン療法を発見するも、コカインの中毒性が指摘されるなどして、批判されることになります。

1885年にパリでヒステリー治療を学んだ後は、ヒステリー治療の開業医となり、そこから自由連想法を考案し、これを精神分析と名付けました。

1886年にはフロイトが26歳のときに出会ったマルタ・ベルナイスと結婚、多くの子供に恵まれます。

その後はウィーン精神分析協会を設立したり、ウィーン医師協会の名誉会員になったりなど、数多くの功績を残すも、1938年にナチス・ドイツから逃れるためにロンドンへと亡命、翌年に癌にかかり死去しました。

フロイトの功績

ここでは、フロイトの功績を一部抜粋して紹介します。

神経症と心的外傷の研究

フロイトは神経症と心的外傷の研究に熱心に取り組みました。

治療を進める中で、フロイトは神経症などの精神疾患が過去のトラウマや記憶に起因することを発見します。

この「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」にも関連づけられた発見をもとに、フロイトは心理療法を確立し、後世にも大きく影響しています。

無意識の重要性を主張

フロイトは無意識(unconscious)をもとに精神分析学を確立した人物としても有名です。

フロイトのいう無意識とは、自分の意識外でつい何かをしてしまうといった、精神的な動きを規定・制限するものです。

フロイトは、人間には自我を認識している「意識」と、自我を把握できていない「無意識」の部分があると主張しました。
 

ユングとフロイトの関係性

ここまでユングとフロイトの基本情報について紹介してきましたが、二人はどのような関係だったのでしょうか?

結論から述べると、二人は師弟関係にありました。

ユングがフロイトの弟子という形です。

ユングとフロイトが初めて出会ったのは1907年で、フロイトはユングにとっての理解者だったと言われています。

しかし、フロイトの掲げた「性欲理論」にユングは疑問を抱くなど二人の溝は深まり、1911年にユングが出版した『リビドー変容と象徴』をきっかけに決別しました。

それは、ユングがフロイトの「性欲理論」を徹底的に批判するものだったためです。
 

まとめ

今回の記事では、ユングとフロイトそれぞれの生涯と功績、そしてユングとフロイトの関係性について紹介しました。

ユングとフロイトは師弟関係にあり、それぞれ重要な概念を提唱しました。

しかし、考え方の違いにより二人の仲は悪化し、最終的には決別してしまいます。

ユングとフロイトにあわせて、アドラーも心理学の分野で重要人物として知られています。

興味のある方は、アドラーについても調べてみてはいかがでしょうか?


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