コペンハーゲン出身の哲学者であるキルケゴールが著した『死に至る病』。
その印象的なタイトルから、一度は気になったことがある人も多いのではないでしょうか?
『死に至る病』=「絶望」と捉えたキルケゴールは、人間論と絶望論を中心に議論を展開していきます。
しかし、本書は非常に難解と言われているため、予備知識を身につけてから読み始めることをおすすめします。
今回の記事では、キルケゴールについて、キルケゴールと実存主義、『死に至る病』の基礎知識、『死に至る病』の内容、『死に至る病』をより理解するために重要な概念について紹介します。
『死に至る病』を読んでみたいと考えている方は、ぜひ本記事を参考にしてください。
キルケゴールの『死に至る病』とは
『死に至る病』とは、1849年に出版されたキルケゴールによる著書です。
難解な哲学書の一つと言われており、キリスト教信仰の素晴らしさを説くために執筆されました。
『死に至る病』を理解するためには、まず作者であるキルケゴールについて知ることが大切です。
以下で、作家であるキルケゴールがどのような人生を送っていたのか、どのような思想を持っていたのかについて確認していきましょう。
キルケゴールとは誰のこと?
引用:いらすとや
セーレン・キェルケゴール/キルケゴール(Søren Aabye Kierkegaard)とは、デンマーク=ノルウェー・コペンハーゲン出身の哲学者、および思想家です。
キルケゴールは、1813年に富裕な商人の家庭に生まれ、熱心なクリスチャンである父親からルター派のキリスト教的訓練を受けました。
17歳のときにコペンハーゲン大学に入学し、神学と哲学を学びます。
キルケゴールはそこでヘーゲル哲学と出会い、後にヘーゲルの弁証法に対して主観主義の立場を取るようになります。
父親の罪を知ったり(キルケゴールはこの出来事を「大地震」と呼ぶ)、放蕩生活を送ったり、さらにはレギーネ・オルセンとの婚約破棄など、キルケゴールはさまざまな経験をします。
しかし、キルケゴールは絶えず研究を続け、『あれか―これか(1843年)』や『不安の概念(1844年)』、そして『死に至る病』などの著書を残しました。
キルケゴールと実存主義
キルケゴールは実存主義の創始者、もしくはその先駆けと言われており、後世の哲学者に大きな影響を与えています。
キルケゴール登場以前の西洋哲学では「合理主義哲学」が主流でした。
キリスト教を真理とする考え方から客観的な真理を重視しようとする動きが高まり、合理主義哲学が台頭したのです。
しかし、キルケゴールは客観的な真理よりも、各個人を重視する主観的な真理のほうが大切であると考えました。
当時のヨーロッパでは、産業革命の影響により、人々の画一化・没個性化が進みました。
そういった状況から、一人ひとりが生きる目的を追求することが求められたのです。
『死に至る病』とは
先述した通り、『死に至る病』はキルケゴールによって著された哲学書です。
1849年の刊行当時は、キルケゴールは偽名であるAnti-Climacus(アンティ=クリマクス)を使って出版しました。
本書の冒頭では、「死に至る病とは絶望のことである。」と記載されており、絶望について議論が展開されていくことが分かります。
『死に至る病』の構成は以下の通りです。
- 人間論と絶望
- 絶望の諸形態
- キリスト教的人間論と罪
- 罪の諸形態
このように本書は「人間論」と「絶望論」を中心に構成されています。
以下で、『死に至る病』の内容についてもう少し深掘りしてみましょう。
キルケゴールの『死に至る病』の内容
ここでは、キルケゴールの『死に至る病』の内容を詳しく解説します。
人間論
キルケゴールの人間論では、主に以下3つの主張が行われます。
人間は「無限性ー有限性」、「時間的なものー永遠なもの」、「可能性ー必然性」といった2つの間の中で生きている
私たちは現実逃避して妄想の中で生きることも、日常生活に没頭して生きることもできます。
また、死んだら無になると信じることも、魂が永遠に生き続けると信じることも可能です。
このように、キルケゴールは私たちが2つの要素の間に存在していると捉えました。
2つのバランスを取りながら自分で態度を決することで人間は自己になる
先ほど私たちは「無限性ー有限性」、「時間的なものー永遠なもの」、「可能性ー必然性」の間に生きていると説明しました。
キルケゴールはこれに加え、バランスを見ながら自分で態度を決することで、本物の自己になると主張しているのです。
例えば、可能性と必然性に関して、自分に元から備わっているスペックの範囲内で生きるか、スペックを気にせずに可能性を信じて生きるか、バランスを取りながら選択することで、人間は独立した自己を手にすることができます。
人間は自己として他者に認められた存在である
キルケゴールは、人間は自己として他者に認められた存在であると考えました。
ここでいう他者は「神」のことです。
つまり、人間は神にによって認められた存在であると考えました。
先述した通り、私たちは「無限性ー有限性」、「時間的なものー永遠なもの」、「可能性ー必然性」など、2つの間の連続的な選択によって人生を切り開いています。
一人ひとりによって違う生き方に対して、「正しい生き方」を導いてくれる存在が神が存在すると考えました。
絶望論
ここまで人間論について確認してきました。
続いて、絶望論においてどのような主張がなされているかを確認していきましょう。
キルケゴールは絶望に関して以下のように説明しています。
絶望とは、それ自身に関係する総合の関係における不協和である。 |
私たちは「無限性ー有限性」、「時間的なものー永遠なもの」、「可能性ー必然性」の関係の中で、自らの態度を決して生きていますが、「正しい生き方」を意識せずに好き勝手生きてしまう状態のことを、キルケゴールは「絶望」と呼びました。
例えば、「可能性ー必然性」に関して、「芸能人になる(可能性)」と夢を抱えたまま努力をせずに毎日を過ごしている人がいるとしましょう。
本来「生活のためにお金を稼ぐ(必然性)」べきですが、この人は可能性に重きをおきすぎているため、キルケゴールによると「絶望」の状態にあることになります。
人間が絶望状態から抜け出すには?
それでは、人間は絶望状態から抜け出すにはどうすればいいのでしょうか?
キルケゴールは絶望から脱却する方法として「信仰すること」が大切であると説きました。
つまり、信仰することで神様の導きに誠実になることによって、絶望から解放されるということです。
キルケゴールは、逆に絶望状態にない人が信仰することはないと考えました。
信仰するということは、何かしらの絶望状態にあるため、神の意志を求めているということです。
『死に至る病』をより理解するために重要な概念
最後に『死に至る病』をより理解するために重要な概念を確認しておきましょう。
弁証論
先ほど紹介したように、キルケゴールはヘーゲル哲学に大きな影響を受けています。
特に、弁証論はヘーゲル哲学において重要な概念となります。
弁証論とは、簡単に説明すると「正」「反」「合」を利用して、より高次的な理解につなげる方法のことです。
ヘーゲル哲学や弁証論については、以下の記事で詳しく説明しています。
まとめ
今回の記事では、キルケゴールについて、キルケゴールと実存主義、『死に至る病』の基礎知識、『死に至る病』の内容、『死に至る病』をより理解するために重要な概念について紹介しました。
コペンハーゲン出身の哲学者、および哲学者であるキルケゴールは、実存主義の創始者と呼ばれるほど、後世の哲学に大きな影響をもたらした人物です。
『死に至る病』では、人間論と絶望論について議論を展開し、信仰することの大切さを説きました。
キルケゴールが熱心なクリスチャンに生まれた背景などを知っておくことで、キルケゴールの思想や著書について理解を深めることができます。
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