ソクラテスといえば「無知の知」をイメージする人は多いのではないでしょうか。
無知の知とは、「自分が無知である状態を知っている状態」のことです。
ソクラテスは無知の知を認識することで、真の認識を得られると考えました。
今回の記事では、ソクラテスについて、ソクラテスとプロタゴラスの思想の違い、「無知の知」や問答法の意味などについて紹介します。
無知の知やソクラテスの思想について理解を深めたい人は、本記事を参考にしてください。
ソクラテスとは
西洋哲学の基礎を切り開いた哲学者として知られているソクラテス。
「無知の知」はそんなソクラテスが唱えた重要な概念のひとつです。
ここでは、まずソクラテスの基本的な情報を確認した後に、プロタゴラスの思想と比較しながらソクラテスの思想について確認していきましょう。
ソクラテスとはどのような人物?
引用:いらすとや
ソクラテス(Socrates)は、紀元前470年にアテナイで生まれた古代ギリシアの哲学者です。
石工の父親と助産婦の母親の元に生まれ、青年時代は自然哲学を学んだと言われています。
しかし、自然哲学は人間の筋肉や骨格について学べるものの、人間がどうして動くのかまでを探求することができず、自然哲学から離れたそうです。
ペロポネソス戦争(紀元前431年 – 紀元前404年)に参加した後、疲れきった人々にどのように生きるべきかを説いたと言われています。
ソクラテス自身は著作を残していませんが、ソクラテスの弟子のプラトンにより、ソクラテスの思想が記録されました。
プラトンについては、以下の記事で詳しく紹介しています。
ソクラテスとプロタゴラスの思想の違い
5世紀に入ると、アテネは民主政治を確立したため、ギリシア全体の中心地として栄えました。
民主主義の発展に伴って、人々の関心は自然から人間や社会に向けられるようになります。
市民は政治や裁判にも参加するようになり、人々は弁論術(政治などの集会で人々を説得するための技術)を身につけ始め、ソフィスト(知者)が登場するようになりました。
代表的なソフィストの一人であるプロタゴラスは、「人間は万物の尺度である」と述べたように、相対主義の立場を取りました。
これに対しソクラテスは普遍的な原理を追求しました。
ソクラテスは、ソフィストが弁論術を使って相手を言い負かすことが目的になっていると考えたためです。
ソクラテスは人間の真の生き方を追求することで、アテネを立て直そうとしました。
無知の知とは
それでは、無知の知とはどういう意味なのでしょうか?
わかりやすく説明すると、無知の知とは自分が無知である状態を知っている状態のことです。
デジタル大辞泉(2023年11月12日閲覧)を引用して、無知の知の意味を深堀りしてみましょう。
自らの無知を自覚することが真の認識に至る道であるとする、ソクラテスの真理探究への基本になる考え方。 |
この説明文からもわかるように、ソクラテスは無知の知が真理探究、いわば哲学の出発点であると考えたのです。
問答法(もんどうほう)
問答法(もんどうほう)とは、対話を通じて相手が無知であることを認識させ、高次の認識へと導く方法のことです。
ソクラテスは、対立する意見から共通項を見つけ、真理を協力して探求しようとしました。
この問答法は、ソクラテスの無知の知を理解する上で重要なキーワードになります。
以下、参考文献を引用しながら、問答法と無知の知について確認していきましょう。
ソクラテスの問答法は、論理を積み重ねていくことであった。
それは、真の知を生み出す方法であると同時に、無知の自覚をうながすためのものであった。
ソクラテスのいう無知とは、何も知らないということではなく、金銭や地位などを重要なことのように思い、善美のような魂(プシュケー)にとって大切なことを気にかけないことであった。
この思い違いに気づくことが無知の知であり、無知を自覚することが、デルフォイの神殿に刻まれた「汝自身を知れ」の真の意味である、とソクラテスは理解した。
つまり、ソクラテスは問答法を用いることで、無知の知を促そうとしたのです。
ちなみに、ソクラテスは相手に問いかけることで、相手が自分自身で真の知を見つけることを助けたため、問答法は「助産術(産婆術)」と呼ばれることがあります。
参考:佐藤正英. 改訂版 高等 倫理. 数研出版株式会社. 2012. p.21
ソクラテスが問答法を用いるようになったきっかけ
ソクラテスが問答法を用いるようになったのは、神託所がきっかけでした。
当時、ギリシア人は問題が生じた際に、デルフォイと呼ばれる場所に位置する神託所で、導きを求めたと言われています。
ソクラテスの友人、カイレポンが神託所で「ソクラテスより賢い人は存在するのか」と神託に問いました。
これに対し、「ソクラテスより賢い者はいない」というお告げが下りました。
それまでソクラテスはそのように考えたことがなかったので、真意を知るために知識人たちを訪ね歩くようになりました。
問答を通じて自分より賢い者が本当にいないのかを確認しようとしたのです。
ソクラテスは問答法により、知恵があると思い込んでいる知識人たちが実際には知恵を持っていないこと、ソクラテス自身が「知らない」状態なのを「知っている」ことを導き出しました。
ソクラテスはこうすることで、自分が最も賢い者であることを確かめました。
ソクラテスが問答法を用いた結果
ソクラテスは政治家や詩人、職人などの知識人たちに問答を行いました。
ソクラテスはこういった知識人たちが「無知の知」であることを促そうとしたためです。
しかし、知識人たちは知らないことをバラされ、プライドが傷ついてしまいました。
知識人たちが言い負かされる姿を見た若者の中には、ソクラテスに影響を受け、ソクラテスの用いた問答法を取り入れる若者も出現しました。
ソクラテスはソフィストなどから反感を買ったため、裁判にかけられることになりますが、その罪状には「若者を堕落させる」というものがあったようです。
無知の知を唱えたソクラテスの最期
ソクラテスは問答を通じて、とりわけ「徳(アレテー)」を追求しようとしました。
つまり、人間は単純に生きるのではなく、善く生きるべきだと考えたのです。
自身の魂を改善していくこと、「魂への配慮・魂の世話」が重要であると説いたソクラテスは、正しい行為を行うことで幸福になる(福徳一致)ことを提唱しました。
また、ソクラテスは人間は何が善であるかを知ることができれば、それに従って行動するようになる(知行合一)と考えました。
先ほど説明したように、ソクラテスはソフィストや政治家から反感を買ったため、裁判にかけられ、死刑の判決を受けます。
判決は間違っているという声もありましたが、ソクラテスは死刑の判決に背くことは、不正であるため、善く生きるために自ら毒杯を飲み、自身の信念を体現しようとしたのです。
知行合一の定義
上記で登場した「知行合一」の意味についても確認しておきましょう。
三省堂 新明解四字熟語辞典(2023年11月12日閲覧)では、知行合一は
「知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ」 |
と説明されています。
ソクラテスは、建築の知識がある人が立派な家を建てられるように、徳を心得ている人は善き行動ができると考えました。
まとめ
今回の記事では、ソクラテスについて、ソクラテスとプロタゴラスの思想の違い、「無知の知」や問答法の意味などについて紹介しました。
ソクラテスとは、西洋哲学の基盤を築いた古代ギリシアの哲学者です。
「ソクラテスより賢い者はいない」という神託所のお告げにより、ソクラテスは問答法を用いながら、知識人たちが実際は知恵を持っていないことを暴きました。
「無知の知」はソクラテスを理解する上で重要な概念なので、ソクラテスに興味がある方は詳しく調べてみてください。
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