「ニヒリズム(虚無主義)とはどういう意味?」
「ニヒリズムとペシミズムは何が違うの?」
と疑問をお持ちの方がいるかもしれません。
ニヒリズムとは、全てのことに対して虚無であると捉える考え方のことです。
しかし、この定義だけ聞いても意味を理解するのは難しいのではないでしょうか?
そこで今回の記事では、ニヒリズム(虚無主義)やニヒリストの定義や、ニヒリズムとペシミズム・シニシズムとの違い、ニーチェとニヒリズムの関係について紹介します。
ニヒリズムの定義や起源などを確認して、ニヒリズムの意味を理解していきましょう。
ニヒリズム(虚無主義)とは
ニヒリズム(虚無主義)とは、簡単に説明すると「全てのことが無意味」という考え方のことです。
デジタル大辞(2023年11月6日閲覧)では、ニヒリズムは以下のように定義されています。
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私たちが住む社会には、当たり前とされている価値観や真理が溢れています。
例えば、「生きるためには仕事をしなくてはいけない」という一般的な価値観に対して、ニヒリズムの考えでは「どうして働く必要があるのか」という疑問から「答えがない」といった結論に至ります。
つまり、ニヒリズムとは絶対的な価値を信じる意味はない、世の中のことは全て虚無であるという考え方を指すのです。
ニヒリズムの起源
ニヒリズムの語源に関しては、「ゼロ」や「皆無」といった意味をもつ、ラテン語の「nil(ニル)」が発祥です。
エンブリー・リドル航空大学の教授であるAlan Pratt(アラン・プラット)氏によると、19世紀初期にドイツの思想家であるFriedrich Jacobi(フリードリヒ・ヤコービ)が哲学的にニヒリズムを使用したとされています。
しかし、ニヒリズムが一般的に知られるようになったのは、ロシアの小説家Ivan Turgenev(イワン・ツルゲーネフ)氏が著した「父と子」でニヒリズムが使われたことがきっかけと言われています。
参考:The Internet Encyclopedia of Philosophy, “Nihilism” (2023年11月6日閲覧)
ニヒリストとは
ニヒリストが主義や思考を示すのに対し、ニヒリストは虚無主義的な考えを持っている人のことを指します。
デジタル大辞(2023年11月6日閲覧)によると、ニヒリストの定義は以下の通りです。
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ロシアにおいては、ツルゲーネフ著「父と子」の出版以降、貴族階級を否定する形でニヒリストが見られるようになり、一部ではテロリストと同義で用いられるようになりました。
ニヒリズムと似た概念
ここでは、ニヒリズムと混同しやすい概念を確認しておきましょう。
ペシミズム(悲観主義・厭世主義)
ペシミズム(悲観主義・厭世主義)とは、人生や世界は悪や非合理で満ちているという考え方のことです。
ペシミズムとニヒリズムの違いは、「最終的な思考の方向性」と言えるでしょう。
後ほど紹介しますが、ニーチェの能動的ニヒリズムにおいては、「人生が虚無であるなら、新しい価値を求めて能動的に生きるべき」というポジティブな要素を含みます。
一方、ペシミズムは終始悲観的な考え方を貫いており、人生や世界が悲惨であるという考えから発展することはありません。
シニシズム(冷笑主義)
シニシズム(冷笑主義)とは、人生や世界を馬鹿にしたり、冷笑したりする考え方のことです。
シニシズムとニヒリズムの違いは、「人生や世界に対する態度」と言えます。
言い換えると、シニシズムは「世の中の価値観を斜に構える態度」ですが、ニヒリズムは「世の中の価値観を認めない態度」ということです。
現代はSNSなどでもシニシズムが蔓延しているという意見もあり、多数派に流されて思考が停止してしまう危険性が指摘されています。
ニーチェとニヒリズム
ニヒリズムについて調べているとニーチェについて目にする機会が多いと思うのではないでしょうか。
ここでは、ニーチェとニヒリズムについて解説します。
ニーチェとは誰?
引用:いらすとや
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)とは、ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、思想家、および哲学者などとして有名な人物です。
特に実存主義の先駆者と知られており、世界的に大きな影響を与えています。
特に「ツァラトゥストラはこう語った」や「力への意志」などの著作が有名です。
ニーチェの思想はニヒリズムによって支えられていることが多く、ニヒリズムを学ぶ上で重要な人物として位置付けられています。
以下で、ニーチェの捉えるニヒリズムについて確認していきましょう。
ニーチェとキリスト教
「神は死んだ」という有名な言葉からも分かるように、ニーチェが絶対的な価値に意味がないと考えるようになったのは、キリスト教が深く関わっています。
以下、文献を引用しながらニーチェのキリスト教に対する考えを確認していきましょう。
キリスト教道徳は隣人愛を説いたが、ニーチェによれば、それは人間に対して服従や禁欲や弱い者への愛ばかりを説いて、人間が本来もっている強くたくましく生きようとする意欲(権力への意志)を失わせ、人間を卑小化し無気力にしてしまった。 キリスト教道徳は弱者の自己正当化であり、弱者の強者に対する憎悪と怨恨(ルサンチマン)にもとづく奴隷道徳にすぎない。 したがって神が死んだいま、キリスト教道徳に代わる新しい価値を創造しなければならない。 |
(参考:佐藤正英. 改訂版 高等 倫理 . 数研出版株式会社. 2012. p.136)
つまり、「弱きものを救う」ことを説くキリスト教が、序列や派閥による争いの存在を隠してしまっていることを指摘したのです。
言い換えると、弱者は神に祈れば必ずしも幸せになれる訳ではなく、結局は強者が勝つ仕組みは変わらないということです。
ニーチェと「超人思想」
キリスト教道徳に疑問を抱いたニーチェは、「キリスト教に代わる新しい価値が必要である」と考えるようになりました。
そこで誕生したのが「超人思想」です。
上記で紹介した文献によると、
超人とは、これまでのいっさいの価値を否定する、「権力(力)への意志」の体現者のことであり、この世の苦悩に満ちた現実を、同じことの永遠のくり返し(永劫回帰)と見なし、それをあえて肯定しつつ生きる(運命愛)者のことである。 |
(参考:佐藤正英. 改訂版 高等 倫理 . 数研出版株式会社. 2012. p.136)
つまり、超人思想とは価値観や基準に囚われず、個人が自分の価値観を肯定できる考え方のことを指します。
超人は、たとえニヒリズムの状況に置かれたとしても、意欲を失わず、積極的に生きようとする存在なのです。
積極的ニヒリズム
ニーチェは「世の中の全てが無意味」と考える消極的ニヒリズムを乗り越えるために、「積極的ニヒリズム」を提唱しました。
積極的ニヒリズムとは、価値観や基準が無意味であることを認識し、人生を前向きに捉える考え方のことです。
例えば、積極的ニヒリズムにおいては「人生に意味がないのならば、無意味な人生を楽しもう」という考えになります。
このように積極的ニヒリズムの考え方はポジティブな側面があるため、ペシミズムとは区別されるのです。
まとめ
今回の記事では、ニヒリズム(虚無主義)やニヒリストの定義や、ニヒリズムとペシミズム・シニシズムとの違い、ニーチェとニヒリズムの関係について紹介しました。
ニヒリズムとは、全てのことに対して虚無を見出す考え方のことです。
哲学の分野でニヒリズムを確立した人物であるニーチェは、キリスト教道徳への疑問から、超人を目指して生きる考え方の「超人思想」を打ち出しました。
ニーチェは虚無性に向き合うために「積極的ニヒリズム」を唱えましたが、アナキズムやナチズムなどにも結び付けられるようになり、さまざまな思想に影響を与えています。
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